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猫とコーヒーと物語のブログ

辻(交差点・丁字路)のふしぎ

わたしの住んでいるところは、丁字路に面しています。 昨年から自宅で仕事をするようになり、滞在時間が増えて気づいたことがあります。 それは、人は、辻(丁字路)に差しかかると、声を出す、ということなのです。また、立ち止まる、ということも起こります。 ---------ポイント------- 人は辻(交差点・丁字路)に差しかかると、 1 声を出す 2 立ち止まる ---------------------- tjiro.jpg ▲わたしの家と丁字路の位置関係 二人で歩いていた人が、丁字路に差しかかると話しはじめたり、ご近所の方の世間話が丁字路で始まったり、子どもが丁字路の道路越しに呼び交わす、ということもしばしばあります。子どもはとくに「わーっ、わーっ」というような意味のない言葉を発することも多いです。 度重なるのがふしぎなので、辻(交差点・丁字路)にかかわることを調べてみました。 ●●辻にかかわるあれこれ●● ・辻堂(つじどう) むかしの街道の辻には、お堂が立てられていました。このお堂は、壁がなく屋根だけあるもので、人が休んだり情報を交換したりしたそうです。つまり、声を出す(話す)、立ち止まる(休む)ということをしていた場所といえます。 ・辻占(つじうら) むかし行われていた占いで、夕方、辻に立って人々の会話を聞いてどんなことが聞こえてきたかという、その内容で吉兆を占うというものです。辻は人だけでなく神さまも通ると考えられていたので、辻で聞く会話は、神のことづてと考えたのだそうです。ここでも、会話をする(声を出す)人、立って聞く(立ち止まる)人がいます。 ・辻捕り(つじとり) 平安時代の都では「辻捕り」といって、一人で歩いている見目うるわしい女房(にょうぼう)は、辻でからめとってもかまわない、という無茶苦茶なルールが存在していました(*)。だから、女の人の独り歩きはとても危険とされていました。ここでも、女が立ち止まり、男が声をかける(声を出す)という場面が見えてきます。これはかなり乱暴な話ですが、一般的に平安時代には辻は男女の出会いの場としての役割があったようです。 ・辻説法(つじせっぽう) 鎌倉時代日蓮上人(にちれんしょうにん)は辻で説法を説き、布教活動をしていたといわれています。日蓮上人が声を出す人で、人々は足を止めてそれを聞いていたと思われます。 ・辻立ち(つじだち) 政治家の街頭演説のうち、交差点で行うものを「辻立ち」というそうです。ここでは、政治家が演説を行い(声を出す)、人々が聞く(立ち止まる)ということが行われているといえます。 kousaten.JPG このように、辻の効果を示す例が、たくさんあります。 そして、わたしが日常でそれを現実に耳にしているから、ふしぎです。 ほんとうに、人は辻に差しかかると声を出したり、立ち止まったりするのです。車が来るからとか、人と別れるからとか、そういう理由だけではないように思います。 どうしてこうなるのか、というのはちょっと思いつかないのですが、この効果を利用することはできそうです。 例えば、道をたずねたいとき、アンケートに答えてほしいとき、相手に注意をうながしたいとき、デートに誘うとき、告白するとき。 道が交差している場所で声を出せば、もしかすると、相手は足を止めてあなたの言うことを聞いてくれるかもしれませんよ。 今日は、これでおしまい。 (*)…参考文献:「平安朝の男と女 貴族と庶民の性と愛」服藤早苗著、中公新書P35による