あおやぎ珈琲

猫とコーヒーと物語のブログ

データに魂は宿るか

わたしが今の会社に入社したとき、前任者からの引き継ぎはまったくありませんでした。なぜなら、前任者というが、病気のために亡くなっていたからでした。自分の病気は必ず治ると信じていたので、仕事の手順を記したものも、引き継ぎの資料もひとつも残さずに亡くなってしまったのだそうです。
わたしに渡されたのは、彼女がパソコンの中に残したデータだけでした。
同じ職種なので、仕事の進め方については、ある程度の予測はつきます。しかし、取引先とどのように仕事を進めていたのかなど細かいことはいっさい分かりません。わたしは取引先に電話をかけて事情を話し、必要な書類を送ってもらったり、詳細を教えてもらったりしながら仕事を始めました。
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彼女が残したデータには、最終的な形だけが残っています。その最終的な形に至るまでの過程は見えません。それでも、わたしもその最終的な形を目指して仕事を始めると、彼女がどうやってそこへ至ったのかが、見えてくることもありました。
データというのは、無機質なのものですが、わたしはその無機質なものの中に、彼女の焦りやもどかしさを感じました。なぜ彼女が焦りやもどかしさを感じていたかは、仕事を進めていくうちに、だんだんと理解ができてきました。
会社は、彼女が製作を担当し、もう一人が営業を、もう一人が経営を担当するという形で成り立っていました。彼女の仕事に対して、あとの二人はまったく理解がなかったのではないかと思います。今のわたしがそうだからです。
「安全で、ミスがなく、魅力的で、売り物として価値があるもの」は、当然といった顔で世の中に存在していますが、それはいろいろな人の労働の結果生まれています。
その労働を理解せず、「ぱぱっと作って」「なるべく急ぎで」「ちょっと変更をお願い」と、直接その労働をしない人が言います。自分のやっていることが簡単にできることだと思われるのは、脱力するほどの思いでしょう。
自分のやっていることは意味があることだ、価値があることだ、なかなかできないことだ、と自分で思っていても、まわりにいる人たちから理解されていないと、人は孤独を感じると思います。わたしは彼女が残したデータに、その孤独を感じます。
ある日、わたしは必要な書類のデータを探していて、彼女の残したデータの中に、今後展開するはずだったシリーズものの企画書を見つけました。そのとき、「道半ば」という言葉が浮かびました。彼女は、この企画を抱えたまま、この世を去ってしまったのです。
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彼女の仕事や夢を知ることは、彼女のやった仕事の意味や尊さや志を理解することになるでしょうか。勝手な思いですが、そうであってほしいと思います。
わたしは5月で会社を辞めることになりますが、今後も外注先として仕事を請け負うことになると思います。そして、彼女の仕事の続きを担っていくことになると思います。彼女の作ったデータを見てその意味を理解したり、驚いたり、新しい情報を加えたり、改良したり……そうして、こころを継いでいけたらいいなと思っています。
今日は、これでおしまい。