姓名判断の結果が悪くてもめげないでよし
こういう占い師を待ってたんですよ! 占い芸人ゲッターズ飯田さんのことです。わたしがゲッターズ飯田さんのことを知ったのは『女性自身』の占い特集での記事でした。
ゲッターズ飯田さんは、姓名判断の占い師なのですが、その記事の中で
「親からもらった名前を大事にして、凶数であっても、それが自分の弱点なんだなと知ることが大切なんです」
「完璧な名前なんてないです。それより、ここはダメだっていうことに気づけるっていうのは意外にラッキーなことですから。みんなそこを見ないようにするじゃないですか。悪いところを知ることができるのが占いのいいところでもあるんです」
ということが書いてあったんです。
飯田さん、いいこと言うなあ。
姓名判断は、名前の画数で占います。
実はわたしの名前はどの姓名判断で占ってみても「名付けには避けたい名前」という結果になるのです。
そんなこと言われたら、落ち込みますよね。
で、たいてい「改名したいなら、いい名前を考えますよ」と占い師の方が改名を勧めてきたりするのですが、名前ってそんなに簡単に変えられないし、そんなアドバイスってないんじゃない? とずっと思っていたのです。
そもそも、最強の名前にすると、人は幸せになるんでしょうか。
わたしは、名前の画数がすごくいい人、というのに何人か会ったことがあるんですが、確かにすごい人たちです。
一人は仕事がとてもできる人です。でも、できすぎて、仕事ができない人に対してとても厳しい目を向けるな、と感じたときがありました。
一人は周囲の人に恵まれる人です。でも、冒険ができないのです。恵まれているから、あえて苦しいところに飛び込むことができないようなんです。そこへ一歩行けると、この人は一皮むけそうなのにな、と思うことがありました。
確かにいいことはいいけど、いいからこその孤独や苦労があるようです。
ちょっと話が飛びます。姓名判断とは違いますが、わたしは一度、風水で異様に運気を高められた部屋、というのに住んだことがあります。
その部屋では、ふしぎと観葉植物がぐいぐい育つんです。
こういう部屋に住んでるんだけど……と友だちに言うと、みんな口をそろえて「運気がいい部屋なんて、いいじゃない!」というのですが、住んでる自分はどうなるのかといいますと、どんどん顔色が悪くなっていくんです。
どうやら、育つつもりのあるもの(観葉植物)には、運気がよくめぐるけれど、育つつもりのないもの(わたし)は、栄養にされちゃうみたいなんです。
「こいつ、全然育つ気ないわ。栄養にまわしちゃえ」
というような意思を部屋から感じました。
……家ではリラックスしたいんだよ。もうだいたい育ってるし。
それで、風水が最強にならないように、色を整えないようにしたり、家具の配置を変えたり、くふうしてなんとか事なきを得たのですが、そのとき感じたのは、「最強にすればいいってものじゃないんだなあ」ということでした。
運気というのは、使いこなしてこそなのです。
そして、運気が最高だからといって、その人に最高の人生がもたらされるというわけではないのです。
姓名判断でも、犯罪者には案外、画数がとてもいい人がいるのだそうです。
恵まれた環境も、運気も、それに甘えてしまっては、人生を台無しにしてしまいかねないということじゃないかと思います。
失敗したり、つらい目にあったりってそのときは大変だけど、人の気持ちがわかるようになったり、慎重に判断ができるようになったりと、成長につながったりしますもんね。
というわけで、自分では気に入っているけど、占い師からはけちがつく名前をもっているからといってわたしはへこみません。成長のチャンス! と思って、毎日そこそこまじめにやっていれば、そうそう悪いことは起こらないんじゃないかと思ってます。
今日は、これでおしまい。