ちはるさんが、関根くんをつかまえます(後編)
前編・中編をまだ読んでない方はこちら ⇒ ちはるさんが、関根くんをつかまえます(前編)
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さあさあ、待ちに待った金曜日の夜です。
お店に入って席に着いたふたりは、いざメニューを開きました。
「わー、関(せき)サバがある。直送だって。南条(なんじょう)さん、ここ、すごい店だね!」
関根くんは、おおよろこびです。南条さんというのは、ちはるさんのうえの名前です。
しかしながら、ちはるさんは何がすごいのか、ちっともわかりません。
聞けば、関サバとは、大分県でとれるサバのことだそうです。
「関サバは、あらくれた海でそだってるから、油がのっているのに身がひきしまってるんだよ」
と、関根くんは教えてくれます。
「頭がいいのに運動ができる優等生みたい」
ちはるさんがそう言うと、関根くんは、目を細めてははは、と笑いました。
「東京ではめったにお目にかかれないんだ」
飲み物の注文を見ていると、関根くんは、どうやら日本酒好きのようです。
だから、つまみになるお魚にもくわしいのです。
ちはるさんは、小さく、あれ? と思いました。
関根くんは、他の人がサッカーや、音楽や、ゲームや、バイクや、一眼レフや、競馬や、自己啓発や、株式投資なんかに夢中になっているのに、この人は、かくし味にゴマ油やゆず胡椒をつかって料理をこさえて日本酒をたのしんでいるような人なのです。
そうとうな変わり者です。
変わり者どうしは、ひょっとすると気が合うかもしれません。
そう思うと、ちはるさんは、手の指先があたたまるのを感じました。何もぬっていない爪がさくら色になりました。
楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。
お店から出ると、関根くんの提案でふたりは少し散歩をすることにしました。
池袋というのは、個性あふれる人々でとってもにぎやかな街ですが、南池袋という地名あたりは、人家が多く公園やお寺があって、わりと静かなところなのです。
ビルのむれが切れると、都心らしいせまい夜空に月が見えました。
「きれいだな、満月かな、いや、一日分くらい欠けてるか」
好きな人ときれいな月を見ている、と思うと、ちはるさんは、うっと涙が出そうになりました。その気配に関根くんは気がつきました。
「なんで泣くの?」
「……月がきれいだから」
本当は。
本当は、ちはるさんは関根くんをつかまえることができないから泣いたのです。
月を見上げてきれいだね、って言いあうこの時間を止めることができないから涙が出てきたのです。
「むし図鑑」で得た知識も、関根くんの前では何も役に立ちません。
いま、ここに、この人と過ごしている、この瞬間。
どんな道具があったら、こんなうつくしいものをつかまえられるっていうんでしょう。
ちはるさんの、ピンクになった鼻の先を見ていた関根くんは、
「南条さんは、すぐ感動するんだねー」
と月を見上げて言いました。とてもとてもうれしそうに言いました。
おしまい
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今日は、これでおしまい。