社長はこの人一人と心の中で決めている
就職氷河期と言われてずいぶんたちます。
わたしが就職するころもバブルがはじけた後でしたので、すでに厳しい時代に入っていました。
わたしは山のように面接を受けたにもかかわらず、全然内定が出ず、途方に暮れていました。
卒業予定の人が就職先を決められないという状況は、想像を絶するほどに精神的にこたえます。すべて人格を否定されたような気になり、完全に自信喪失になります。
就職が決まらないまま卒業してしまえば、スキルも経験もないまま、次の年の新卒と争わなければならないのですから、その恐怖たるや思い出しても足が震えるほどです。
それでも、わたしは運良く、かなり遅い時期にでしたが内定を出してくれた会社になんとか入社することができました。
しかし、その会社の面接でわたしはとても生意気な態度をとったのです。
役員の中にはあからさまにわたしの採用を嫌がった方もいたと聞きます。
が、社長の「あいつの生意気なところが、気に入った!」という気まぐれのような鶴の一声でわたしの採用は決まったのだそうです。
わたしはそのことを、入社してしばらくたってから知りました。
そのことを知って、わたしの心には言いようのないほどの恩義が芽生えました。「いつか社長の恩に報いなくちゃ」という強い気持ちです。わたしは、その気持ちを外に出さないようにして、心の奥底にしまいこみました。
何年かして、わたしは2年がかりの大きなプロジェクトにかかわることになりました。
そのプロジェクトは幸運なことに成功を収め、わたしはようやく社長の恩に報いることができました。
たくさんの人が協力してくださり、そしてチームで立てた手柄を自分の手柄みたいに言うのはおぎょうぎが悪いので、このへんでよしますが、もしこの成功がなかったら、わたしはきっと社長の恩に報いることがひとつもできなかった、と乾いた心を持ち続けることになったでしょう。
というのも、社長は突然、交通事故で亡くなってしまったのです。
わたしは、社長のお葬式で号泣しました。
社長とろくに言葉を交わしたことのない若手社員がなんでこんなに泣いてるんだろうと思った方もいたでしょう。
ご遺族の方も、遺族より泣いてる社員さんがいるわと思われたかもしれません。
でも、わたしは、社長が「あいつの生意気なところが、気に入った!」と言って、わたしを拾ってくれたあの日のことを思い出して、涙が止まらなくなったのです。
それからわたしは、何度か転職しました。尊敬できる社長のもとで仕事をすることもありました。でも、わたしの心の中では、社長はあの亡くなった社長一人なのです。この人のためなら、とがんばれるのは、あの社長一人なのです。なぜなら、あの一言が今もわたしを生かしていると感じるからです。
今、過労死するほど社員を働かせる社長がいるだの、お金もうけばかりに気をとられて社員の命を危険にさらす社長がいるだの、そういうニュースを耳にすると、本当に悲しい気持ちになります。
人を生かせない人が人の上に立っている意味が、わたしにはよくわかりません。
社長は、やさしい人だったよ。魅力的な人だったよ。
だから、この人のためなら、なんだってがんばろうって思えたんだよ。
世の中に、そういう社長がいてくれるといいね。
そういう人が社長になってくれるといいね。
今日は、これでおしまい。