あおやぎ珈琲

猫とコーヒーと物語のブログ

耳にタコをください

「耳にたこができる」とは、広辞苑では「同じ話を何度も聞かせられることの形容」となっており、ニュアンスとして、あまり好ましくないものと感じられます。 が、わたしは同じ話を聞くのが好きです。

01 母の話 わたしの母は、折に触れて小話をする人でした。(今も元気なのですが、離れて暮らしているので過去形で書きます) 例えば、お姑(しゅうとめ)と仲の悪い嫁が医者に相談したところ、医者は、この薬をお姑の食事に混ぜればよい、と言って白い粉を渡してきた。嫁は、毎日が苦しいものだから、その白い粉をお姑の食事に混ぜた。ところが、お姑がどんどん嫁にやさしくなる。それで嫁はたまらなくなって義母を助けてください、と言って医者のところに行く。すると、医者は「安心しなさい。あの白い粉は、お砂糖だから」と言った。 というような話。

あるいは、目が痛くて病院に通っている人がいた。担当の医者がいないときに、他の医者がその人を診ることになった。その医者が申し送りとして担当の医者に、「あの患者、逆まつげがありましたから、抜いておきましたよ」と言ったところ、「それじゃ、もう病院に来なくなるじゃないか!」とかんかんに怒った。 というような話。 tenteki.jpg

登場人物のどちらがいいとも悪いとも言わず、母はよくこの話をしていました。 わたしには子どもがいないのですが、いたら、やっぱりこの話をしてしまうと思います。 もしかしたら、この話は祖母か曾祖母がしていたのかもしれません。 それは母の心に刻まれ、今はわたしの心に刻まれてしまっているのです。

02 酔っ払いの話 わたしは、趣味の関係で年配の方とお酒をいっしょに飲む機会が多いのですが、つきあいが長くなってくると、同じ話をお酒の席で聞くことになります。 わたしはそういうとき、どうするかといいますと、初めて聞く気持ちで聞くようにしています。

この話、前にもしたかな~と相手がちょっと不安になってはしょろうとすることもあります。わたしは、そんなちょろっと出てきた不安のしっぽは、必ずつかみます。こちらは初めて聞いている気分なのですから、つじつまが合わないので、ここのところは、どうなってるのですか、と質問するわけです。すると、相手は、あー、この話は初めてするんだと思って、ちゃんと話してくれます。前にもしたかな~と不安になりつつ話すより、この話は初めてするんだと思って話すほうが楽しいに決まっています。 tyouchin.jpg

つきあいが長い人とのお酒の席って、新しい情報をどんどん吸収するというような、がつがつしたものじゃないと思います。お互い、少しずつ思い出を共有していくような、増えも減りもしないものなのです。

そして、その人から離れると、気づくのです。その人と何を話したのかと思い浮かべると、その人が繰り返していたあの話を思い出すということを。 人って、役に立つことだけ覚えたり、身につけたりするわけではないようです。記憶というのは、その人と繰り返したことを少しずつ心に刻んでいくもの。

心に刻む。心に刻むのは、傷とは違うよ。 その人と過ごした時間だよ。 だから、刻まれたものは、大事にするといいと思うよ。

今日は、これでおしまい。