ブラック企業のおもいで
近ごろ、仕事でスケジュールがおしまして、相手先の意向を存分に反映しきれないだろうという結果が見えましたので、これはちょっとお詫びのメールを書いておかなくてはと必要にかられ書いておりますと、むかしを思い出したのです。
むかしというのは、わたしがブラック企業に勤めていたときのことで、あのころは、よく詫び状や始末書を書いたものでした。
といいましても、わたしがたくさん失敗を重ねていたというわけでもなく、お客さまからの苦情はいっさいなくても上司が気に入らないと、そういう類のものを書くことになるのです。
何かのイベントが終わるたび、何かの仕事がひと段落するたび、そういうものを書きますから、しまいには呼吸をするように始末書が書けるようになってまいります。
あるとき、上司が文書にミスをして、それがそのまま取引先へわたってしまったことがありました。
そのようなときでも、わたしが始末書を書くのです。もちろん上司が悪いとは書けません。
では、どう書くべきでしょうか。なかなか上級の問題です。
それは、こう書けばよいのです。
「わたくしの文書のチェック体制に問題があり、また不勉強でもあったため、ミスのある文書を取引先にお送りすることとなり、会社に多大なるご迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます。猛省し、二度とこのようなことが起こらないよう、今後は体制を整えたうえ、細心の注意を払い仕事にあたっていく所存でございます」
おそろしいことに、自分が悪くなくても、心から反省している始末書や、心から詫びている詫び状が書けるようになってきます。
朝の通勤電車に乗っていたときのことです。カーブにさしかかり電車が大きく揺れ、大柄の男性に思いきり足を踏まれました。
そのとき、痛みに顔をしかめながら、わたしはこころのなかでこう思ったのです。
(こんなところに足を置いており、申し訳ありません!!)
そうです。わたしはいつの間にか、何に対しても謝れるようになっていたのです!
まったく自分に非がなくても!
足を踏まれたとしても!
ブラック企業に勤めているとき、わたしはこう思っていました。こころのなかまでは、誰にも触れられるわけがない。だから、わたし自身は変わるわけがないと。
でも、ふだんこころを曲げていると、いざというとき曲がった自分が出てくるのです。
人にこころを触れられなくても、自分から変わってしまうということでしょう。
問題が目の前にあると、たとえそれがおかしな問題であったとしても、人は解決しようとしていっしょうけんめい知恵をしぼります。
そして、乗り越えると「よかった」と思います。うまくいったと。
でも、自分のこころはどうでしょう。問題を解決するたびに、こころが曲がっていくとしたら…。
それは、自分の人生にとって果たしてよいことなのでしょうか。
おそらく違うでしょう。
ブラック企業でうまくやっていくことよりも、自分のこころがまっすぐであることのほうが、自分の人生にとってははるかにだいじなことだと、わたしは思っています。
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ブラック企業で起こる人のこころの変化を、おはなしふうにまとめました。夏だから、ちょっとこわいのをね。
今日は、これでおしまい。