葉書の届く音がするとき(中編)
前編を読まれていない方は、まずこちらへどうぞ ⇒ 葉書の届く音がするとき(前編)
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茶会へ行った2カ月後、小泉くんから、また葉書が届いたのだった。
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来月の最初の週の土曜日に茶会をしますが、
どうですか。
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と書いてあった。
ぼくは、驚いた。
合格! と小泉くんに強く言われた気もしたが、何も正しいことはしていないはずだった。
だけれども、ぼくはなぜかその葉書に行けるという旨の返事を出し、それから1年半の間、季節が変わるころになると葉書が届き、行っては礼儀を知らないままお茶を飲み、ということをぼくたちは繰り返したのだった。
もちろん、都合が悪いときは断わりの葉書も書いたけれど、それでもまた次の季節の変わり目には、誘いの葉書が来るのだった。
猫は、夜に集会をするという。何のために集まるのか。ぼくは、お互いの顔を見たいから集まるのじゃないかと思う。
夜になると、猫たちの目が冴えてくる。そうすると、仲間の顔が見たくなる。
そして、路地裏だの塀の上だのを走って集会の場所に駆けつけるのだ。
あいつも来た、あいつも来た、あいつも来た、だが、あいつがまだ来ない、あいつもまだだ! そう気をもんでいるうちに、一匹、一匹と集まり、とうとう全員が集合! よおしっ! 解散っ!!
そうやって満足した猫たちは、ねぐらに戻っていくんじゃないだろうか。なんてね。
それと同じで小泉くんは、ぼくの顔を見たいだけで葉書を出すんじゃないだろうか。
というのも、ぼくも行くまでが楽しいのだった。葉書や茶会の日を待つという時間そのものが。
小泉くんの家に行くと、ふしぎとその楽しい気持ちは消え、お互いに顔を見つめるばかりである。
それを証拠に、ぼくたちは、あまり会話というものをしなかった。
いや、まったく話さないというわけでもない。あるとき、
「最近、肩がこるんだよ」
とぼくが言うと
「錦糸町(きんしちょう)のスーパー銭湯にいる背の高い男の人にもんでもらうと一発で治りますよ」
と小泉くんが言った。その俗っぽい答えに、ぼくはこころのなかで笑った。
小泉くんというのは、京橋(きょうばし)にある会社に勤めているらしいが、経理課で大きめの電卓をたたく姿も、会社近くの銀座の街をそぞろ歩く姿も、錦糸町にあるというスーパー銭湯の湯につかる姿もすべてかりそめで、和装でこうやってぼくと向き合ってただ座っているのが本来の姿なんじゃないだろうか。
後編へつづく ⇒ 葉書の届く音のするとき(後編)
今日は、これでおしまい。