葉書の届く音のするとき(前編)
ぼくが小泉(こいずみ)くんに初めて会ったのは、巾着田(きんちゃくだ)の川沿いで行われたバーベキューパーティのことだった。
会社の同僚に誘われて行ったのだが、友人の友人たちという淡いつながりの15人くらいの集まりで、そのなかに小泉くんがいたのだった。
食品メーカーの経理をしてるやつ、と紹介され、ぼくの同僚はこう付け加えた。
「小泉くんは、お茶の先生もしてるんだって」
小泉くんは、ぼくより少し若く見え、そして猫っぽい男だった。少々冷たさを感じさせる三白眼ぎみの目がそう思わせるのかと思ったが、よくよく眺めてみると両の口角が少し上がっていて、猫の口元のふくふくしたところと印象がかぶり、独特の猫っぽさが生まれているのだった。
「先代が亡くなったので、そういうことになったんです」
と小泉くんは言った。
先代、とは父親という意味だろうか、それとも師匠という意味だろうか、とぼくは考え、父親だったらお悔みを言うべき? とも思ったが、肉や野菜が香ばしく焼けてる横で、しかも初対面でお悔みをいうのは、ずいぶんおかしいことのように思われた。
「お茶か、いいですね」
とぼくは適当なことを言った。
小泉くんはぼくの目を見て、うん、という感じに小さくうなずいただけだった。
それから、ぼくは肉をたくさん食べ、ビールをたくさん飲んだ。小泉くんとはそれきり会話をしなかった。
ところが、それから1カ月くらいしたころ、ぼくの家に1通の葉書が届いた。
差出人は小泉清太郎とあった。ペン習字の生徒みたいなきれいな文字で、ていねいに小泉くんの住所とぼくの住所と名前が書いてあった。
「個人情報」という言葉がちらっと頭に浮かんだが、小泉くんのあの猫っぽい口元で名前や住所を尋ねられたら、ぼくだってすらすら答えてしまうだろうと思った。
葉書には、
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今月の最後の週の土曜日に茶会をしますが、来ませんか。
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とだけ書いてあった。
そういえば、ぼくはお茶に対して好意的と思われるような受け答えをしたような気がする。
だが、あいにくお茶の心得なんて全然もっていない。どうしたものかと思ったけれど、ちょっと興味がわいて、行ってもいいかと思ったものの、どう返事をすべきか。
小泉くんのメールアドレスなんかわからないし、葉書には電話番号も書いてない。
同僚に聞くのも面倒なので、ぼくは、葉書を買ってきて
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お茶会に行きます。
よろしくお願いします。
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と書いて投函した。すると、三日くらいして、14時にお待ちしてます、という短い葉書が届いた。なんだか新鮮なやりとりだった。
小泉くんが示した日と時間に彼の家を訪ねた。
都心にあるとは思えない大きな家だった。ボリュームのある生け垣と、奥にたたずむ歴史のありそうな家。銅版葺(どうばんぶき)の門をくぐると、和装で腕組みをした小泉くんがこちらを振り返った。
「やあ、いらっしゃい」
と彼は言い、ゆっくりと歩き出した。ぼくは小泉くんのあとに従った。
ぼくは、茶会に誘われたものの、茶会についての予備知識がほとんどない。ちょっとネットで調べたが、初心者は下座に位置するので、前の人がやるとおりにすれば間違いないと書いてあるのを見つけて、それならできそうだと決め込んできたのだった。
しかし、通された茶室には、客はぼくひとりだった。
見よう見まねでやろうと思っていたのに、これでは見る人もまねる人もいないではないか。
小泉くんは和菓子を出したが、あいにくぼくは甘いものが苦手なのだった。
うっ、と引いているうちに、
「甘いのだめですか、さげましょう」
といって、小泉くんはさっと皿をさげた。
それから、おそらく礼儀作法にのっとり、正確な手つきで抹茶をたて、ぼくの前に茶碗を置いた。
「どうぞ」
「あの……どう飲めばいいかわからないので……」
とぼくが言うと、小泉くんは、どうということもないような顔で
「ああ……適当に飲んでください」
と言った。
て、適当でいいのか? ぼくは逆に動揺した。そして、言われたとおりに適当にくるくると茶碗を回すと、持ち上げてひとくち、ふたくち、みくち、と抹茶を飲み干したのだった。
そのやわらかい口ざわり! なんだかわからないが、表面の泡がそのやわらかさを生みだしているようだった。
「うまいですね」
とぼくは、直截(ちょくせつ)な感じにほめた。小泉くんは、うん、と軽くうなずいた。
「あのう……これから、どうすれば……?」
「くつろいでいただいてけっこうですよ」
と小泉くんが言うので、ぼくは足をくずした。
そして、目の前に置いた空になった茶碗をじっとながめていた。
はて………茶会というのは、「お代」のほうはどうなっているんだろう? 帰り際に、いくらですというふうに請求されるのか、それとも月末締めで翌月に請求書がとどくとか?
「庭でも、見ますか? 今、ちょうど石楠花(しゃくなげ)が咲いたところです」
と小泉くんが言う。ぼくは、小泉くんに従って庭をながめ、ちょっと花のことを質問したり、ふーんとか、はーんとか適当にあいずちを打ったりした。
これでお茶会はお開きになったのだけど、心配していたお代はとくに請求されなかった。
中編へつづく ⇒ 葉書の届く音のするとき(中編)
今日は、これでおしまい。