記憶できないものがある
夢を記録していたことがあります。朝起きて、どんな夢を見たかノートに書きつけるのです。
それをしてみて分かったことは、夢は記憶できないということでした。久しぶりにノートを見返してみると、こんな夢見たっけ? と思うことがしばしばでした。
朝起きたときは覚えていたけど、すぐに忘れてしまったという経験はだれでももっているでしょう。それは、なぜなんでしょう。わたしは、夢があまりにもめちゃくちゃだからではないかと思います。
・場面がいつの間にか変わっている
・違う時期に知り合った知人が同じ場所にいる
・空を飛ぶなど、ふだんできないことができる
・話の展開がおかしい
など夢のおかしなところを挙げればきりがありません。
あまりにもおかしいことは、記憶しづらい、ということを、わたしは他のことでも体験しています。
わたしの夫は、寝入りばなと朝の起きたてのときに、おかしなことを口走るので、それが面白くて記録をとっていました。
おそらく、意識がはっきりしていない状態で頭の中が混乱しているので、おかしなことを口走るのです。こんな感じです。
2009年6月16日 ユニコーンきた
2009年7月25日 (布団にくるまって)クーヘン! クーヘン!
2010年2月11日 (強くゆすったら)あーやめて、混ざる混ざる
ところがあるとき、耳で聞き取るのに、記録するまでに忘れてしまうということが起きました。確かに耳で聞き取っているのに、記録することができない。ほんのちょっとなのに、こちらは意識がはっきりしているのに、忘れてしまうのです。えっと思うような内容だった、としか思い出せません。この経験から、知性で理解できないことは、人は簡単に忘れてしまうんじゃないのかな? ということを思いました。
外国の言葉は、耳で聞いているはずなのに、音のみで記憶するのが難しいことや、書いてある内容が難しいと思って読んだ本の内容を覚えていることは難しいことなんかもきっと同じでしょう。わたしたちは理解できたものしか記憶していないんじゃないかと思います。
とすると、子どものびっくりするような思いつきを親がちっとも覚えていられないとか、誰も覚えていられないギャグとか、日本中の人がそのニュースを見たはずなのに、あまりにおかしなことで全員の記憶から抜け落ちてしまう事件とか、そういうものがあるんじゃないかと思います。記憶できないから、誰も語れないのです。
ちょっと話は変わります。「親から愛されなかった」と感じている人ってある一定数いると思うのですが、自分が親の立場になってみればそんなことはないのだと悟るとか聞きます。これも、子どもは知性がまだ発達していないから、親からたくさん愛情を受け取ったはずなのにそれが理解できなかったために、忘れてしまっているのじゃないのかなあ? と思います。
親からたくさん受け取った愛情。
記憶の中には残っていない。
でも、それはただ、忘れているだけ。
子どもに理解できる言葉や方法で
愛情を示してあげられたら、
ずっと覚えてくれるかな?
なんてことを、考えました。
今日は、これでおしまい。

