光をつかまえる
蛍の季節です。 蛍を見る、というのはすっかり珍しいイベントになってしまっています。
わたしの蛍体験は、一度だけです。 山口県の長門湯本(ながとゆもと)にある温泉宿に泊まったとき、ちょうど蛍の見ごろでした。 宿を出て川沿いに出ると、ふわ~っと光が飛んでいました。 蛍の光は、ペカペカしていないからきれいなんでしょうね。ついたり消えたりが実にやわらかいのです。しかも、蛍の飛び方が曲線で無軌道ですから、なおさら幻想的です。
きれいだね、きれいだね、と言って歩いていると、橋の上でおじさんが近づいてきました。 「手を出して」 と言われ、わたしが言われるままに手を出すと、おじさんは自分の手のひらの中にいた蛍を、わたしの手のひらの中に移しました。 わたしは、手でかごをつくるようにしてそれを受け取りました。 「あげる」 とだけ言って、おじさんはそのまま行ってしまいました。 うつくしい贈り物です。
わたしは、手のかごの中の蛍を見つめました。 おしりが、2秒間隔で光っては消え、光っては消えしています。 近くで見ると案外その光は人工的な感じです。
おじさんは、少年のように幻想の光をつかまえたい、と思ったのでしょう。 そして、光をつかまえた瞬間は喜んだでしょう。 でも、つかまえたものは、つかまえるという欲望を吸い取ってしまう、はかない光だったのです。
わたしは手を開いて、蛍を逃がしました。 わたしから離れると、蛍はまた幻想的な光をともしてふうわりと飛んでいきました。
蛍の話題がテレビのニュースで流れると、少しの間だけわたしの手の中にあった、うつくしい贈り物のことを思い出すのです。 今日は、これでおしまい。