芥川龍之介の俳句
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)は、きっと頭がいい人だったんでしょう。
その目を見ればわかります。
どんなむずかしいことを聞いても、すっとわかってしまいそうな瞳です。
わたしは彼の小説の作品がそれほどすきにはなれません。
でも、めざしをうたった俳句をいいと思いました。
それで、句集を買ってみました。
ページをめくっていきまして、わたしの胸を突いたのは「破調」とある、まえがきでした。
まえがきとは、俳句の前に小さな字でつける、ちょっとした説明書きです。
ふつうは、「箱根」「太宰治記念館」など、俳句をつくった場所をしるします。
彼がつけた「破調」とは、五七五になっていないということを示しています。
そんなまえがきを入れる人はいるんでしょうか。
破調なんて、破った本人は知っているし、読んだほうもすぐに気づくものです。
彼はおそれたんじゃないかと思います。
自分が、破調だと気づかずに破調をつくってしまったと思われるのではないかと。
とすると、わたしは、彼の読み手に対する信頼のなさを感じます。
そして、彼が抱いた、自分をまちがって解釈されることへのおそれを感じます。
「田端の小路にはいまもなほかかる景あり」などは、想像力のない人をおびえているかのようなまえがきです。
とにかく、まえがきの多い句集です。
彼は、五七五だけでは伝わるか不安だったのかもしれません。
芥川龍之介の俳句には、ほとんど体温を感じません。
だからといって、冷たさも感じません。
とても、澄んでいる印象です。
並んでいる俳句の言葉の選び方を、きれいだと思いました。
木がらしや目刺にのこる海のいろ
(「夕ごころ」ふらんす堂文庫)
今日は、これでおしまい。