あおやぎ珈琲

猫とコーヒーと物語のブログ

お話を伝えるくふう

01 真実の気持ちを伝えるむずかしさ 作家の海堂尊(かいどうたける)さんが、CS朝日ニュースターの「海堂ラボ」という番組で、自分は小説を書くとき、ある女性を密着して取材し、その人のことを描いたのだけれど、読者の女性から「女性は、こんなことを思わない。女性の心はもっと深いものなのだ」という意見をもらって、自分は実在する女性の事実をありのまま書いたのにと思ういっぽうで、伝える難しさを感じたとおっしゃっていたのを見たことがあります。 それは代理出産の話だったのですが、代理出産に実際にチャレンジした人は、こういうふうに思ったということを描いたら、代理出産をしていない女性から、女性だったらそんなふうに思うわけがないと意見をもらったということになります。 本人はそう感じているのに、他人がそれを否定するという話。 oyako2.jpg 02 おかしなことが本当に起こっていると伝えるむずかしさ わたしがブラック企業につとめていたとき、ある友人に、職場でこんなことが起こっているということを話したら、その友人から、 「そんなことが、起こっているわけがない」 といわれ、びっくりしたことがあります。実際にひどいめに合っているわたしを目の前にして、そんなことは起こらない、と彼女は言ったのです。 どうも、まじめそうな事業内容の、業界の年鑑にも名前を連ねているような会社で、そんなおかしなことが起こるわけがない、というのが彼女の理屈のようでした。 実際に経験した人が目の前にいるけれど、その経験を信じることができないという話。 こういうことを見たり聞いたり、経験したりしますと、わたしは、ある人の存在を確信するのです。 すごい冒険をして、その話をして、信じてもらえなかった人たちの存在を。 そして、信じてもらえず、埋もれていった心おどる冒険の話が、今までどれほどあったことでしょう! fune.jpg 03 物語の工夫 いっぽうで、埋もれないために、工夫した人もいます。例えば、日本の古典の説話集では、「これはたくさんの人が見ていたところで起こった話ですよ」という構成にしたり、「これはほんとうの話です。○×神社に、鬼の爪が残っていますから」と証拠を示す構成にしたりという工夫をしています。すると、読んだ人は「目撃した人がいるなら本当っぽい」「証拠があるなら本当っぽい」と信じてくれ、話が伝わっていくのです。 これが、物を語るという力のひとつなのかなあと思います。信じてもらえる構造に入れ込んでおはなしをするということ。 事実をありのままに描くだけでは、人は信じてくれない。話に入ってきてくれない。どうやら、本当っぽい、と人を引き込む語り方がだいじなようです。 でも、信じられないような話を聞いても、「それはうそだ」と思わずに、ちょっと足を止めて想像力をふくらませてみるということもだいじよね、と思います。くちをつぐんでしまう人をひとりでも減らすためにも。冒険の話を埋もれさせないためにも。 今日は、これでおしまい。