アリスはなぜ穴に落ちたのか?~麻酔体験をとおして
自分の麻酔体験をとおして、なぜ物語で落ちたり登ったりという垂直体験があるのか、また記憶の書きかえについて考えてみたいと思います。
01 麻酔の体験
わたしは、一度だけ全身麻酔をかけたことがあります。
そのとき、ある映像を見ました。
夢じゃなくて、映像。いつも寝たときに見ている夢とはまったく違うものでした。
まず、ふつう視野というのは広がっているけど、それが丸くなりました。
丸のなかに映像が見えて、その丸のまわりは真っ黒でした。
▲映像の視野のイメージ
すごくSFっぽいビジュアルで、映画の「ガタカ」に雰囲気が似ていました。
ちょっと近未来。ちょっと落ち着いた感じ。
それで、わたしは未来っぽいエスカレーターに乗って、上に上がっていきました。
それから声が聞こえて、カウントが始まりました。
そのカウントが、元の世界との距離を表しているとわたしには分かります。
そこは、意識に広がりがあって、下にある世界を眺められるという予感がありました。
わたしは漠然と、生まれる前は、こんなところにいたんじゃないのかな、と思いました。
それから、現実の世界の「声」が直接耳に聞こえはじめ、わたしは意識を回復します。
02 映像のイメージが生じるまで
この麻酔の体験のことがすごく心にひっかかっていて、わたしは立花隆(たちばなたかし)さんが書かれた「臨死体験」という本を読みました。
その本を読んで、わたしの見た映像は幻覚だったんだな、と思いました。
人間は、全身の感覚がなくなると、幻覚を見るのだそうです。
無重力を体験した宇宙飛行士が、神秘体験をするのも同じ原理です。
麻酔というのも人間の感覚を麻痺させるのですから、身体の感覚がなくなり、そのつじつまを合わせるために幻覚が生じたというわけです。
そこから考えると、私の意識がつくりだした幻覚は、次のような行程をふんでいると想像できます。
身体の感覚を失った ⇒ 宇宙をイメージ ⇒ SFの世界をイメージ ⇒ そこへ行くためのツールとしてエスカレーターを上るという行為
ここで、注目したいのは、エスカレーターを上るという行為です。
03 考察~物語と記憶
「臨死体験」の本でも、臨死体験をした人でトンネルを抜ける、山に登る、坂を上るなどの行為を体験したという例が多く報告されています。
物語の要素として、垂直方向の移動が大切、というのは河合隼雄(かわいはやお)さんが著書で書いていらっしゃるのを読んだことがあるのですが(このへんうろ覚え)、垂直方向に移動するというのは、どこか異世界に行くということを納得するために、脳が必要としているんじゃないかと思います。
つまり、上にいくか下にいくかしないと、こんな異世界に行くなんて納得できないよ、というわけです。
アリスが不思議の国に行くとき穴に落ちるのも、ジャックが豆の木をのぼって雲の上の世界に行くのも同じ役割です。
しかしながら、物語は人がつくったものですが、自分の意識が勝手に「エスカレーターに乗った」のが、不思議なのです。
先日わたしは「宝くじを必ず当てられる男に出会った話!」というのを書きましたが、ここでも、おじさんはエスカレーターを上ってやってきます。
これは、わたしが実際に体験したことで、そう記憶しているのですが、その記憶もほんとうなのかな? と思うのです。
ほんとうは、おじさんは、スタスタ同じ階のフロアを歩いてきたのでは?
でも、おじさんは異世界の空気をもった人だから、「この人が同じ水平上にいるわけない!」とわたしの脳が判断し、おじさんを「エスカレーターで上ってきた人=異世界からやってきた人」と記憶を書きかえたのでは? などと思います。
みなさんの記憶のなかで、エスカレーターで上ってきた人や、階段を下りてきた人、電車から降りてきた人はいませんか?
その人は、あなたに不思議なことを言ったり、不思議なことをしたりしませんでしたか?
もしそういう人がいたとしたら、その上り下りの記憶は、脳が書きかえてしまったものかもしれませんよ。
今日は、これでおしまい。